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日本言語学会第134回大会(2007)公開講演要旨

〈言語的主観性〉の統一理論に向けて―モダリティ・発話行為・敬語からの展望―

中右 実 (麗澤大学教授)

 現代言語学における主観性(subjectivity)の捉えかたには大きく二つの流れがある。ひとつはLangacker(1985他)流認知言語学の主観論であり、もうひとつはTraugott(1989他)に代表される通時的観点からの主観論である。そしてTraugottは基本的にLyons(1977他)のモダリティ主観論と軌を一にする。また一方、わたしはさきに主観的モダリティ二層構造論(中右1984他)を唱えたが、これはLyonsの基本構想の延長線上にあり、最大限可能な言語的一般化を可能にする説明理論を目指したものである。

いま仮に、わたしを含めLyons-Traugottの系譜を「言語的主観論」と呼ぶならば、これはLangacker流「認知的主観論」と対置される。言語的主観論は言語表現の意味を問題にし、その意味や機能の主観的側面を強調するのに対し、認知的主観論は実体や事象の把握の仕方を問題にし、わけても概念主体や概念化過程の主観性を力説する。しかし実際は、数多くの支流が混在している。

こうした全体的状況を背景に、本発表では、言語的主観論のさらなる実質化を試みたい。(1) モダリティ、発話行為、日本語敬語をめぐる多様な語彙・文法現象を視野に入れ、(2) これら異質の言語現象を統一的に捉える視点が<発話時点における話し手の心的態度>であること、さらには (3) <発話時点>を根源的には<瞬間的現在時>と定義する必要性があることを例証したい。そして次に (4) この最後の道具だてが<言語的主観性>を意味づける決定的な概念的基盤となる経緯をみたい。また議論の過程で適宜、(5) 以上のような言語的主観性の統一理論が既存の日本語敬語論(時枝誠記、原田信一他)やモダリティ論さらにはLangacker流主観論とどう違うか、その分岐点についてもふれたい。

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