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《所有者受動》再考


企画・司会:鷲尾 龍一



日本語の受動文はこれまで様々な観点から分類されてきた。直接受動と間接受動を区別する二分法は特に有名であるが,これと対立する三分法を支持する研究者も多い。三分法とは,単純化して言うなら,直接受動と間接受動の間に「所有者受動」(「持ち主の受身」)と呼ばれる表現類を設定し,典型的にはこれを直接受動あるいはそれに近いタイプと見なす立場である。研究史を振り返ってみると,これら二つの立場は互いにさほどの影響は与えていないようであり,この分野の研究がいずれか一方の立場に収斂する様子は見られない。日本語研究において永らく二論並立の状況が続いてきたという事実に鑑み,ここには総括すべき重要な問題が存在すると考えられる。本ワークショップでは,日本語,朝鮮語,モンゴル語を中心に,所有者受動という概念が果しうる役割を再検討しつつ,受動表現の類型における所有者受動の位置づけについて多角的な考察を加える。



文法記述における「所有者」の概念をめぐって


斉木 美知世

日本語の所有者受動をめぐる従来の研究を改めて精査してみると,何を所有者受動とするかについて,相互に矛盾する多様な見解が見られる。所有者受動の典型例として「絵をほめられる」の類を上げている研究は少なくないが,例えば仁田1992にとってはこれさえ所有者受動ではなく,「息子をほめられる」の類を所有者受動に含めるのかどうかも明確に論じられていないことの方が多い。そもそも「所有者」とは何か。日本語文法においてこの概念が果すべき積極的な役割は存在するのか。この概念は言語間の差異を捉える際の有効な視点を提供するのか。「所有者受動」の外延が研究者によって異なり,任意の受動文を所有者受動と認定する機械的な方法が存在しないとすると,これを日本語教育に導入することで混乱が生じる可能性もある。本発表では以上のような諸問題に考察を加えつつ,所有者受動を教室で教えることの意味についても考えてみたい。



朝鮮語における「所有者受動」をめぐって


生越 直樹

日本語と同様,朝鮮語もある種の間接受動を許容する言語であるが,その許容範囲は日本語とは比較にならないほど狭い。斉木氏は,朝鮮語における間接受動の成立範囲を「所有者とその身体部位」という関係で規定できるという先行研究の主張を取り上げ,《日記を読まれる》などの反例を挙げているが,この種の表現の適格性判断は,実は話者によって異なる。ただし,《財布を取られる》などの例ならば問題なく適格となり,その許容範囲については,十分な説明がなされていない。このように,朝鮮語における「所有者受動」は,なお慎重に調査すべき多くの問題をはらんでいる。本発表では,所有者と所有物の位置関係,動詞の種類などに注目しながら,朝鮮語の間接受動の許容範囲を確認し,その使用条件を解明していく。その結果から,朝鮮語における「所有者受動」という概念の有効性について論じる。



モンゴル語における「所有者受動」をめぐって


梅谷 博之

現代モンゴル語の受動接辞 -GDは間接受動を構成しにくい接辞であり,-GDに基づく間接受動は現代モンゴル語(ハルハ方言)には基本的に存在しないと言えるが,日本語の間接受動(特に「所有者受動」)が表す意味関係は,モンゴル語でも使役接辞 -UULに基づく構文によって表すことができる。しかしこの構文においてさえ,表現できる意味関係は限られている。本発表では,直接目的語名詞句の指示対象が,主語名詞句の指示対象に属する「身体部分」「動物や無生物」「人間」のいずれであるかに着目しながら,-UULに基づく構文が表現できる意味関係を記述する。そして,-UULに基づく構文が表す間接受動には「与位格名詞句の指示対象が実現した行為の影響を,主語名詞句の指示対象が直接受けることを表す」という意味的な特徴があることを指摘する。この特徴は -UULに基づく構文が表す間接受動のみならず直接受動にも見られるものである。



「所有者受動」と受動表現の類型をめぐって


鷲尾 龍一

諸言語の受動表現はAFFECT型とBECOME型に大別することができる(鷲尾2005)。他動詞の内項を対格で表示する「間接受動」はAFFECT型においてのみ許され,朝鮮語のcita構文や西欧諸語の受動構文などBECOME型には見られない。モンゴル語のgd構文がどちらのタイプであるのかは,なお検討を要する。ラレル構文と同様に,朝鮮語のi/hi/li/ki構文やモンゴル語のuul構文もAFFECT型であるが,類型論的にも特異なラレル構文とは異なり,朝鮮語やモンゴル語の構文が表す意味関係は「関与」の範囲内にとどまる(Washio 1993)。しかし,朝鮮語などで許される関与受動の範囲は日本語より狭いとの指摘もあるため,関与受動の一部からなる有意義な集合が存在する可能性もある。この下位集合を仮に「所有者」の概念によって定義しようと試みる場合,どのような問題が生じるのか。日本語,朝鮮語,モンゴル語の比較を中心に考察する。

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