Constructed dialogue における責任の所在とそのストラテジーとしての利用

佐藤 彰(ジョージタウン大大学院)

会話において constructed dialogue (Tannen, 1986, 1989) が使われた場合,その発話が誰のものであるかがはっきりしないことがある.本研究では interactional sociolinguistics の立場から,Goffman (1974, 1981) における production format や frame の概念を用いて,(1) constructed dialogue においてどのような場合にその発話の責任者 (principal) が曖昧になるのか,(2) なぜそのような曖昧さが生じるのか,(3) そのような発話を用いることによって話し手は何を達成することができるのかについて検討する.

Goffman (1974, 1981) は,speaker の self は少なくとも次の四つに分けられるとしている.すなわち,animator(発話する者),author (発話をつくる者),figure(発話に描かれる者),principal(発話の責任をとる者)の四つである.元の発話が存在する場合には,その dialogue の author と figure の立場を占める者は元の話し手であり,その者が prindpal の立場も満たすが,元の発話が存在しない場合,つまり現在の会話における話し手が声色や口調を使い他者の真似をしつつ自ら発話を構成する場合,その dialogue をつくる者は現在の話し手である一方,そこに描かれる者は他者である.このように author と figure の立場が別の人物によって満たされるとき,その発話の principal の立場が曖昧になる.

このような曖昧さが生じるのは,この発話が storytelling (interactional) world と story world の両方の frame に関与しているためである.principal を決めるのに直接関わる author と figure が,異なる frame に属するため,principal の立場がどちらの frame にも存在し,その結果曖昧さが生じるのである.

この "double voiced" (Bakhtin, 1981) constructed dialogue を使って,話し手は (a) の責任の回避,(b) 異なった frame における対象への発話行為,(c) 話題の管理,(d) face-saving を行うことができる.話し手はこの曖昧さを伴った constructed dialogue を談話におけるストラテジーとしてうまく活用しているのである.