日本語のアスペクトと敬語との関係について

近藤 泰弘

現代日本語においていわゆる継続のアスペクトを表す形式とされている「ている」は,敬語形になると,たとえば尊敬語では「でいらっしゃる」という形となる。
先生はいまグランドで走っていらっしゃるようだ。
ところがまた「てゆく」「てくる」という別の形式もやはり尊敬語では「ていらっしゃる」という形になる。
あんな遠くまで歩いていらっしゃったのですか。(てゆく)
先生はもうアメリカから帰っていらっしゃったとのことです。(てくる)
以上のように「ている」「てゆく」「でくる」はみな同じ尊敬語形を持つのであるが,このような現象が起きる原因は次の二つの仮説によって説明可能である。
1. この三つの形式は基本的に同じ「継続」の意味を表すものであるが,視点の差により分化したものである。
この理由としては,この三つの表現は各種の文脈において交換可能であること,また遂に話し手・聞き手との相対的視点を表すものとして相補分布をなすこと,またいずれも「そびえる」「とがる」「ありふれる」などの特殊なアスペクト素性を持つ動詞(金田一氏の動詞分類の第四種)に接続可能であることなどがあげられる。
2. 「ている・てゆく・てくる」という視点による分化の体系も,敬語体系も,話し手・聞き手の相対的関係を示すことを基本的な目的とする主観的な使い分けでありその目的が共通である。そのためにどちらか一つでも談話情報として十分である。
以上のような仕組みによって,基本形である継続のアスペクト形式「ている」は,次のどちらかの体系だけによって表示されることが可能なのであると考えられる。したがってそれぞれの体系の中ではもう一方の体系による区別は見えなくなってもかまわない。これが冒頭に述べた「でいらっしゃる」が三形共通の尊敬語形になる理由である。
(いわゆる視点の体系)
でいる(中立)てゆく(話し手から)      てくる(聞き手から)
(敬語の体系)
ている(中立)ておる・てまいる(話し手から)ていらっしゃる(聞き手から)
以上,従来,尊敬・議論と「ゆく・くる」とだけの枠で論じられがちであった視点の問題を,中立形の概念を導入することで拡張して,三者の関係として把握することを試みた。