フィンランド語の斜格主語・斜格目的語について

遠藤 史

フィンランド語研究の従来の見解では,斜格主語(主格以外で標示される主語)や斜格目的語(対格以外で標示される目的語)は,分格のもの以外認められていない。しかし最近の研究 [Karlsson (1983), Hakulinen (1983),松村 (1985)] では以上に加えて属格主語の存在が示唆されつつある。本発表では,プロトタイプ論的な見かたに立って,後者の見解をさらに進め,次のことを主張する。
(1) フィンランド語には,プロトタイプ的なものではないが,主語あるいは目的語と見なしうる斜格名詞句が存在する。
(2) その出現は,フィンランド語の格標示の持つ性質によって動機づけられている。
ここで提案する斜格主語とは次のようなものである(下線部)。
(1)Minu-ntäyty-yostatämäkirja.
1sg-gen.must-3sg.buythis-sg. nom.book-sg. nom.
「私はこの本を買わねばならない」
(2)Suvi-llaonlapsi.
Suvi-adessivebe-3sg.child-sg. nom.
「Suvi には子どもがいる」
種々の統語的現象(語順,再帰化,繰り上げなど)の観点から,これらは副詞やトピックではなく,非プロトタイプ的主語と考えられる。また斜格目的語(下線部)については,
(3)Minäenpidämusta-stakahvi-sta.
1sg.-nom.not-1sg.likeblack-sg. elativecoffee-sg. elative.
「私はブラックコーヒーが好きでない」
同様に種々の統語的現象(省略可能性,選択制限など)の観点から,非プロトタイプ的目的語と考えることができる。
またフィンランド語の格標示の性質については,文法関係と直接の対応を示さず,その代わりに,(1) Hopper & Thompson (1980) で言う他動性を反映させたり,(2) 文法項同士での区別を行なったりすることが指摘できる。このような格標示の性質が,斜格主語や斜格目的語の出現を動機づけていると考えられる。