日本語難易文の複次元 paradigma 的分析

田原 薫

難易文は基本的には主語を必要としない非人称文である。「改まった席では冗談を言い難い」のように。たとえ助詞「は」や「が」を伴う名詞句があっても,それを主語とは断定できない。「このナイフは鉛筆を削り易い」「この鉛筆はナイフで削り易い」などの例を見れば勿論,「は」を「が」に置き換えた文例においても,動詞言い切り文の場合と同じ意味での(典型的な)主語があるとは言えない。しかしこれらにおける「は」名詞句は軸語 (pivot) になっている。難易文では主語の有無よりも軸語の有無の方が重要である。
難易文には理念上の両極として,軸語の性質を叙述する性質難易文と,事件の起る確率或いは期待度を表わす生起難易文とがあるが,両者を繋ぐ種々の中間的難易文もある。それは,本来生起頻度を表わす表現であるものが,動詞の特定の項に内在する性質のように再解釈されるようになるからである。
動作の意図性/無意図性は難易文の容認可能性に決定的に影響する。難易形態素易い難いは基本的には状態述語なので,動作主すなわち事態の起動者の意図によって記述の真実度が左右されては困るから,動作主は軸語になり得ない。
難易形態素易い難いは述語を項とする超述語である。性質難易文におけるそれはまず動詞の概念内容を項とする述語の地位 N として生起し,一方,生起難易文におけるそれは事態の成立を陳述する繋辞(相当要素)を項とする地位 M から出発する。両者とも結局,転送を受けて形容詞述語 C の位置に落ち着くが,《述語―易い難い》複合体それ自体が外心構造なので,内心構造だけの統語論では分析できない。性質難易文では軸語が受動者であっても《動詞非受動形+易い難い》の形式が使われるが,それは,その生成の過程で,生起難易文の場合と異なり,動詞が一旦名詞化されるからであると説明できる。